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カール・ツァイス社の誕生~発展


1846年イエナに顕微鏡製造のための工房を開設し、顕微鏡など大学の研究室で使われる光学機器を製作し、高い評価を受けるようになった。
イエナ大学の講師エルンスト・アッベと学術実験用の機器製作を通じて知り合い、アッベと共同で光学機器の性能向上の技術を開発した。
1884年ころからは、オットー・ショットがガラス工学技術を提供することとなり、良質のガラスをレンズの材料とすることによって世界最高水準の光学機器会社としてさらに発展することとなった。


カール・ツァイス財団の誕生
カール・ツァイス財団 (Carl Zeiss Stiftung) は、カール・ツァイスの死後、1889年に近代光学理論の大家であり、ツァイスの協力者であったエルンスト・アッベによって設立された。アッベの理念は

資本家の搾取のない組織
技術開発によって不断に人類の福祉に貢献する
であった。このため、アッベは自らが所有する会社の株はもとより、カール・ツァイスの息子で共同経営者だったローデリヒ・ツァイスにも迫って株の譲渡を受け、すべての株を財団所有とした。これによってカール・ツァイス社にはひとりの株主もいなくなり、財団によって運営される希有の企業形態となったのである。

 さらにアッベは定款によって財団傘下の企業の経営方針を「人類の福祉に貢献する」と規定し、それに沿った経営を行った。8時間労働制、時間外勤務手当、年次有給休暇、年金制度などを世界に先駆けて整備し、労働者の待遇改善に努めた。また、技術的に価値の高い新規の発明については特許を取ることを禁じ、進んで公開するものとした。ただし、この方針は他社に特許をとられてしまうために技術公開の目的が達成されず、やむを得ず特許を取得して公開する方針に切り替えられたという。他社が経営上の理由から二の足を踏む分野に対しても財団傘下の企業が積極的な技術開発を行い得たのは、財団の上記のような経営方針によるものである。高度な技術開発を行うために傘下の企業は技術的研鑽を積まざるを得ず、結果として世界最高水準の技術力を現在に至るまで持ち続けることができた。

 ツァイス財団の「人類の福祉に貢献する」という社是は、ナチスが台頭してくると「マルクス主義的」と見なされ、経営に容喙される原因になったといわれている。

 第二次世界大戦後のドイツ東西分割によって財団も分裂したが、ドイツ統合後にひとつに戻り、現在も傘下の企業ともども健在である。財団傘下の企業としてはカール・ツァイス社やツァイス・イコン社(Zeiss-Ikon)、ショット・グラス社 (Schott Glas)などを代表として数多い。

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